おかえりなさい(^^♪今日も元気でいてくれてありがとう。
『生きづらい』と思ったことはありますか?
私のこれまでの人生を振り返ると『長い間、生きづらかった』この一言に尽きます。
幼少期から、特に『信じている人から裏切られる』というの出来事の連続で、
幼稚園の時初めてできた友だちは小中と私をいじめ、
幼稚園では『見せしめ』に無実の罪でみんなの前で吊るし上げられ、
小学校でもいじめに遭い始めると親しかった友人もみんないじめ側に回る、
中学では教育委員会でも問題になるほど教師からいじめられ…
高校、大学、ミュージシャン、社会人と、
その後の人生も心から信じていた友人、親族に手のひらを返されたように裏切られる…ということのまあ何と多いこと。
あんなに仲良かったのに、なんでだろう…ということの連続。
個性診断でみると『相手の言うことを否定せずに受け取ってしまう』という気質、
『相手を信じてしまう気質』が満点なので、疑うということをあまりせず(だから、詐欺だのストーカーだのに遭うんでしょうね 笑)
やっと自分の人生が充実してきたのは40近くなってから。
平成の約30年間のまあなんとしんどかったこと…
いやいや、ミュージシャンだったり会社創ったり、好き勝手やってるじゃん!
と言われるかもしれません。それはそうなんですが(笑)
自分が大切だと思っている人が、ただ離れていくだけならまだしも、急に態度を変えて私の悪口を触れ回ったりみんなから嫌われるように仕向けたり…
これはこれで、なかなかしんどいものです(笑)
それでも誰かを信じたい、信じ抜きたい、
どれだけ裏切られようが、その人の可能性を信じて全力でぶつかっていけ。
そんな使命を帯びた人生だったのかな…と思っています。
お陰様で鍛えられたのか、今となってはもう何とも思わなくなりましたが(笑)
下記、
そんな私の心に突き刺さった、とあるエピソード。
お読み頂けたら幸いです。
___________
【小学校の時ぼっちだったから用務員のおっさんと遊んでた】
小学三年くらいの時の話。
おれは転校してきて、誰とも馴染めないで、ずっと花壇に張り付いて花のスケッチばっかしていた。
花壇近くに、焼却炉(昔はどこの学校にもあったんだ)があって用務員のおっさんはいつも何か燃やしてた。
家に帰っても母親が再婚して、大嫌いな親父がウチでゴロゴロしてるもんで、夕方過ぎに母親が帰ってくる時間までスケッチなり図書館なりで過ごしていた。
学童保育もあったけど馴染めないから学校で過ごしていた。
バーコードバトラーが流行っていた時代。
ある日、相変わらずスケッチをしてると、おっさんが話しかけてきた。
おっさん「君、いつも熱心だね。画家にでもなりたいのかい。どれ、みせてごらんよ。」
俺はあわてて、じゆうちょうを隠した。
絵は未だにものすごい下手だから。
何でお前pixivに載せるの?てレベル。
コミュ障だった俺は一言もおっさんとは口を聞けなかった。うんうん頷くか、首を振るくらい。
友達いないのか?
家には帰らないのか?
色んな質問されたが、口は開けなかった。
そんでそれからは挨拶はする程度になったんだわ。
おっさんは俺にピカソとかあだ名をつけた。
多分絵が無茶苦茶だったからだろ。
でも懲りずに毎日スケッチしてた。
ある日、俺の小学校時代の転機が訪れる。
その日は、雲行きが怪しくて、スケッチをしてたんだ。
案の定雨に降られ、雨宿りしてたら、おっさん来た。
何だピカソ君、濡れねずみじゃないか、ちょっとこっちゃ来い。
黙ってついてった。
連れていかれた先は用務員室。
始めて入るが何か臭い。
おっさんがタオルをかしてくれた、
それも臭い。
タバコの匂いが充満していた。
今考えるとそういう部屋が昔の小学校にあったんだな。
ビビるな。
タオルで頭を拭いてると、おっさんの汚い机の上になんやら、
見知らぬ物体があった。
なんだろこれ?と思っておっさんに聞いてみた。
これが俺の小学校時代が変わる物体。。。
おっさん「ああ、これか!これな。けん玉だよ。やったことないの?俺がジャリんころはみんなやってたけどな。ほれ、こうして」
って言って、巧みに振りけんをやってくれた。
その後もおっさんは色んな技を見せてくれた。
俺はけん玉に魅了された。
家に帰って、母親にソロバン買うって嘘ついてけん玉買ってきた。
けん玉ライフが始まる。
それからは、休み時間練習、放課後練習、家に帰ったらウザい親父がいるので練習は出来なかった。
で、休み時間にけん玉してたら、
クラスの奴らがけん玉に興味示したわけ。
なにそれ?面白そうじゃん。
って言って話は盛り上がって友達が始めて出来た。
クラスの奴らもけん玉買って来て用務員室で放課後けん玉してた。
まーそうしてどんどん規模がひろがって用務員室じゃ人がおさまりがつかなくなったんで、
けん玉部たるものを立ち上げることになった。
学校からは許可が出て、空き教室をひとつかしてもらえる様になった。
部長は俺がなった。
他学年からも部員が増えて、
20名くらいのけん玉ソルジャーが集まった。
すげー楽しかったわ。
部内大会とか、市のけん玉大会とかにも出て優勝したりした。
で。
俺が一個進級する頃に、おっさんはこう言ったんだ。
俺今年で定年なんだわって。
おっさんがいなくなる事を部員全員が悲しんだ。
けど四年生になっても週に一度だけおっさんが来た。
その頃にはおっさんよりもすごい技をくりだせるようになってたので既に師匠越えをしてしまった。
五年生になる前くらいに、おっさんはめっきり姿をみせなくなった。
新しい顧問の図書室の先生に、おっさんはどうしたのか聞いてみた。
図書の先生は最初口を濁してたけど、おっさんは入院しちまったらしい。
おっさんは新しい顧問に入院してることを黙っててくれって言ってたんだって。
で、次の土曜日にお見舞いでも行こうって話になって、部員と病院まで遠征することにした。
始めて子供たちだけでバスやらに乗るから緊張した。
おっさんのお見舞いでミカン買ってった。
で、いざ名前を受付に言って部屋を調べて貰ったらおっさんの部屋には入れないって言われた。
子供の頃だからわからんかったけど、おっさんはもう相当ヤバかったんだろうな。
面会謝絶って奴だ。
せっかく来たんだから、おっさんに手紙を書こうってなって、受付のババアから紙を貰って思い思いの手紙を書いた。
最後だって知らないから。
純粋にまた来いよとか書いた気がする。
おっさんには会えないままだったんで、しょうがないからバスの中でミカンを食った。
3日後に、
おっさんから手紙が来た。
おっさんが手作りで書いたけん玉の技のプリントとは違う力無い字で書いてあった。
お手紙ありがとうね、
けん玉は楽しいだろ。
これだけしか書いてなかった。
おっさんは死ぬ思いで書いたんだろうなと子供心にもさっせるものが近かった。
その金曜日に、おっさんは天国に行ったんだわ。
俺鼻水とまんねーの。涙も。おっさんどうして死ぬのかよくわかんねーの。なんなん。
始めて知らない土地で出来た友達だったし、あだ名をつけてくれた友達だったんだよ。
学校の朝礼で聞いて、そのまま保健室で寝込んでた。葬式は次の日だったんで精一杯気を持ち直した。
家に帰ると、おっさんが定年間際にくれたけん玉が目に入った。
また鼻水と涙がとまんなくなった。
次の日は、おっさんのけん玉持って、スケッチした花の絵を持って。おっさんに最後の別れを言いに言った。
おっさんまじ安らかな顔だった。柄本明みたいな。
遺族の人に、おっさんとの馴れ初めを話したりした。
そうしたら遺族の人が言うんだわ。
もしかして君がピカソ君?って。
俺は別室に連れていかれた。
遺族の人っていうか、娘さんね。
おっさんは奥さん先立たれて寂しかったみたいで、ずっと娘さんが最後まで看取ってた。
娘さんが、これ。見てくださいっていって出して来た汚い大学ノート。
おっさんの日記だった。
◯月×日
ピカソ君とけん玉をした、ピカソは上達が早いから俺もがんばらないと。
◯月×日
ピカソ君が部内大会で優勝した、さすが筋がある奴だ。
…
おっさんとの思い出が、フィードバックしてきた。
もう…。なんでなんでなんでなんでなんで死んでしまうんだって。
おっさんはもういない。
娘さんにけん玉とおれのきたない絵を渡した。
ありがとうございましたって。
おっさんはこうして旅立っていった。
___________
正直に言います。こんなおじさんのような大人は、私の周りにはいませんでした。
だからこそ、心から思います。
『なりたいなあ、こんなおじさんに…』
独りぼっちで生きにくい誰かに。
困っているけど声を上げられない人に。
そっと声をかけて仲良くなり、『がんばれ』ってメッセージを送れる人…
このおじさんのような人こそ、本当のスーパーヒーローですね(^^♪
ヒーローは、誰だってなれる。
みんながヒーローやヒロインにならなければならない、混迷の時代。
混迷の時代に生きづらさを感じている人が多いからこそ、
つないだ手を離さず共に歩みましょう。
『あなたのヒーローは誰ですか?』
『今日、ちょっとだけ誰かのヒーローになれるとしたら何ができますか?』
今日も輝いて(^^♪
いってらっしゃい。