他者への思いやりや共感を大切にすることで、社会的なつながりや幸福感を得ることができる
「無我がよいぞ」といわれても、私たち凡人が無我になれるわけがありません。
無我の境地に到達するというのは、つまり、さとりを開いたことになるからです。
「我」そのものを完全に否定することなどできません。
それどころか、ややもすると、「自分が、自分が」というエゴイズムに走りやすいものです。
自分は真面目に精いっぱいやっているのに、まわりの人たちは自分の誠意をまったくわかってくれないとか、世間は不当な扱いをするとか、私たちの身辺には不平不満の種がたえません。
私たちが何事に対しても、常に自分を中心にして考えてしまうから、
「我」を捨てることは難しいと思います。
でも、他に出来ることがあります。
それは、少しでも #相手を思いやる気持ちを持つ ことです。
相手を思いやることでこの世の中がもっともっと笑顔あふれる素敵な毎日をおくれるのではと思います。
相手を思いやる気持ちを大切にしたいですね。
ありがとうございます
無我 vs. 思いやり
凡人が完全に無我になることは難しい。
無我の境地に到達することは、さとりを開いた状態であり、自己を完全に否定することではなく、むしろエゴイズムに陥る可能性がある。
凡人の私たちが自己中心的になりがちなことや不平不満を抱くことは、ごく自然なこと。
無我を完全に実現することは、一般的には非常に難しいとされています。
それは、人間の本性や社会的な環境などの要因により、自己中心的な思考や欲が生じるからです。
また、無我を追求すること自体が、結果を求める執着心と矛盾する場合もあります。
代わりに、相手を思いやる気持ちを持つこと。
これは、他者への思いやりや共感を大切にすることで、社会的なつながりや幸福感を得ることができるとされています。
相手を思いやることで、自己中心的な思考やエゴイズムを超え、より良い人間関係や社会を築くことができるでしょう。
「無我」とは、
仏教や禅宗などの宗教・哲学的な概念であり、個体的な自己や執着心を超え、普遍的な存在との一体感を実現する境地を指します。無我の境地に到達することで、執着や欲望から解放され、心の平穏や解脱を得るとされています。