44歳、幼稚園から高校までサッカー漬け(中学の時は愛知選抜、高校もサッカー加点で進学)だった私にとって、
『最も感動したスポーツの試合は?』
と言われたら間違いなく、
あの《ドーハの悲劇》から4年後、
日本サッカーが史上初めてワールドカップ出場への扉をこじ開けた『ジョホールバルの歓喜』を挙げます。
今、スマホで『ジョホールバル』と打っただけで『の歓喜』と自動変換されるほど日本スポーツ界最高と言っても良い、歴史的な出来事(笑)
当時は今とルールが違い、延長戦はゴールを決めた瞬間試合終了。
その、伝説のゴールを決めたのが
【野人】岡野雅行さん。
(背番号14番)
あの日、大学生だった私は寮にいましたが、ゴールが決まった瞬間男子寮中が爆破されたような大騒ぎ(笑)
後にも先にも、スポーツの試合で号泣しながらベランダで空に向かって『やったぞーーーーー‼️』と叫んだのはあの日だけ(笑)
元サッカー小僧からしたら立志伝中の人物、岡野さんとお食事…
私のYouTubeにもご出演頂いた、元日本最強格闘家の一人、大山 峻護さんにご縁をお繋ぎ頂きました。
岡野さんは、
◎サッカーをやりたくてブラジル留学を希望するも家族から猛反対。親戚に薦められた全寮制の高校に進出するも、全国から集まる不良を更生させるための、漫画のモデルにもなったヤンキー校だった。しかも何とサッカー部が無かった
◎部員が二人のみだったので選手権監督を兼任
◎部員の素行が悪すぎて練習試合すら組んでもらえないところからスタート、最後は県ベスト4まで導く
◎日大に体育推薦で進学するも、サッカー推薦でない岡野さんはサッカー部に入れず。トライアウトを受けて勝ち抜き、入部を許可される
◎しかし言い渡されたのは洗濯係。不遇の日々を送る
◎しかし天皇杯予選にて途中出場で6ゴールを決めてしまい即レギュラーへ
◎大学を中退、浦和レッズに入団…タイトルを総ナメにし、そしてあの伝説のワールドカップ出場ゴール。
岡野さんはあの試合で3回決定機を外した時、
試合中に『もう僕は日本には帰れない。死のう』
と決意されていたのだとか…
一体あの試合に、
私たちでは知り得ないどんな裏側があったのか、
聞けば聞くほど胸の熱くなるストーリー。
現在はJ3の『ガイナーレ鳥取』代表取締役、
GMを10年務められ、黒字化。
人口の少ない鳥取でいかにチームと地域を盛り上げるか?
どうやってファンとスポンサーを集めるか?
どうやったらJ2に昇格できるか?と、
ある時は自らエコノミークラスで2泊4日、
ギャングになるか?
日本でサッカーするか?
とブラジルまで選手のスカウトに行ったり、
(その選手は現在韓国リーグで8億円プレイヤー。岡野さんを日本の父と呼ぶそうです)
また、ある時は鳥取の境港の漁師に扮してチームを盛り上げてみたり…
岡野さんほどの実績があればいくらでも解説者、タレント活動などで何も困らない生活が出来そうですし、
『J3でGMなんかやって、岡野は終わった』
と散々陰口を叩かれても、
誰に何と言われようと関係ない。
俺は俺の人生を生きる。と、
50歳になられた今も毎日をチャレンジ、
魂で生きておられる姿に何度目頭が熱くなったことか。
そして何と、
私のYouTubeにもご出◯して下さると…!!!!
今日の『大山会』に参加された皆様は全員、生き様が真っ直ぐでどこから質問すれば良いか、という程の大経営、実績の方ばかり。
二次会まで岡野さんにお付き合い頂き、
熱く語り合えた夜。一生忘れません。
生涯の出会いを頂けた峻護さん、皆様、
本当に本当にありがとうございました。
私も、死ぬその日でも前のめりに倒れます。
まだまだ走ります。
そしてみなさまぜひ、
《ガイナーレ鳥取》
をどうか応援宜しくお願い致します!