阪神淡路大震災から28年。
多くの命が喪われた日。
多くの人が、
数えきれないほど
大切なものを失った日。
改めて、
亡くなられた方々のご冥福を
心よりお祈り申し上げます。
あれから28年、
真冬の神戸で見た
あの光景は、
間違いなく私の
原点となっています。
当時私は16歳で、
岐阜の山奥にある
全寮制の高校に
在籍していました。
一年生の冬です。
朝、目覚めると
騒然とした寮内、
神戸出身の先輩が、
言葉を失って
真っ青な顔で
立ちすくんでいた姿…
寮にはテレビがなかったので、
震災の光景を休み時間に職員室の
テレビにみんなで観て、
『とんでもないことが起こったんだ…』
とようやく実感が湧くと共に、
心の中から突き上がってきた思い。
『何かお手伝い出来ることは
ないだろうか・・・』と。
先生には止められましたが、
休学願を出して
神戸に行くことにしました。
一旦名古屋に帰省して
バックパックに着替えや
寝袋、食料を詰め込み、
近くの運送屋さんに
「神戸に、
お手伝いに
行きたいんです」
と相談をして、
乗せて頂き、辿り着いたのは
神戸の三宮でした。
映像でしか
見たことのない、
焼け野原のような景色。
横倒しになった
高速道路の橋梁やマンション、
行き交う人々の
絶望的な表情。
『一体自分なんかに
何ができるんだろう…』
足が震えて
止まりませんでした。
偶然、愛知県から来た
ボランティア団体に出会い、
『一人で来たの?
一緒に活動しよう!』
と声をかけて頂いて
昼は瓦礫の撤去や炊き出し、
支援物資の仕分けなどを
お手伝いし、
夜は小学校の
教室の堅い床で、
あまりの寒さに
ガタガタ震えながら
毛布一枚で眠りました。
生涯忘れられない出来事があります。
小学校の校庭で
大鍋に豚汁を炊き出し、
近所の住民の方々に
召し上がって頂こうと、
次々と器に盛って
お配りする係を
任されました。
少しでも元気づけなきゃ、
励まさなきゃ、との一心で、
「どうぞ!」
「どうぞ!」
と、笑顔で豚汁を
お配りしていた時。
バシッ、
と音がして、
私が手渡した豚汁を、
ある男性が
跳ね飛ばしました。
「私たちは乞食じゃない!」と。
私の笑っている顔で、
その方を傷つけて
しまったのかもしれない…。
28年経った今でも、
たまに思い出しては、
胸が苦しくなります。
そしていつも
自分に問うのは、
「今の私は、豚汁を
跳ね飛ばされない
人間になれただろうか?」
「今の私なら、
きちんと受け取って
もらえるだろうか?」
「今の私の笑顔は、
誰かを傷つけて
いないだろうか?」
それから9年後、
私はミュージシャンとなり、
全国ツアーでその時以来
初めて神戸を訪れ、
立派に復興して
元の風景を取り戻した、
美しい街並を歩きながら
涙が止まりませんでした…
誰かをほんの少しでも
勇気づけられたら、
と思って活動し、
圧倒的無力感だけを
感じて帰ってきた、
高校一年生のあの日から28年。
生涯、自分に
問い続けるのだと思います。
「あの時より、
誰かを笑顔に出来る
人間になれているか?」と。
それが私の原点です。
これからも、
目の前のたった一人が
笑顔で生きられますように。
「それでも、
生きてきて良かった」
と思ってもらえるように。
今日もまた命あることに感謝です。